国登録有形文化財 旧吉岡家住宅

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ページ番号1006100  更新日 2023年11月2日

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地図

住所 東大和市清水3-779

旧吉岡家住宅について

東大和市では、日本画家・故吉岡堅二画伯の旧宅を将来記念館的な施設として公開するため、
建物や資料の保存管理を行っています。

常時公開はしておりませんが、春と秋に公開を行い、多くの方にご来場いただいています。

詳細が決定したらこのページでお知らせします。

旧吉岡家住宅主屋

交通案内

西武多摩湖線 「武蔵大和駅」から徒歩5分
ちょこバス(市内循環バス)で「清水観音堂(郷土美術園)」下車徒歩1分


東大和市ゆかりの日本画家・吉岡堅二

吉岡堅二は明治39(1906)年、日本画家・吉岡華堂(かどう)の次男として当時の東京市本郷区に生まれました。父の華堂は、堅二が10歳の時に熱海で療養中に急逝してしまいます。父の没後、一家は東京に戻り、堅二を絵描きにしたくないと考えた家族は、商業学校に入学させました。しかし、本人は算術の勉強よりも絵を描くことが好きで、しばらくして学校を退学してしまいます。
15歳の時、画家を志し、父と同門であった野田九浦(のだきゅうほ)の画塾に入門しました。狩野派の流れをくむこの画塾で、伝統的な日本画の基礎を身につけ、父譲りの画才を開花させました。
終戦までに、新日本画研究会や新美術人協会といった在野運動を展開し、戦後は現在の創画会の前身となる創造美術を結成するなど、昭和期における日本画の革新運動を牽引しました。
東京藝術大学で教鞭を執り、中世オリエント遺跡学術調査団員としてトルコでの壁画模写や、法隆寺金堂壁画模写事業にも従事しました。

吉岡堅二略年譜

国登録有形文化財 旧吉岡家住宅

旧吉岡家住宅は、農家で名主を務めた池谷藤右衛門(いけやとうえもん)によって明治中期に建てられました。そして、昭和19(1944)年、堅二が疎開のために東大和へ移り住み、平成2(1990)年に亡くなるまでこの地で創作活動を行いました。
多摩地域で少なくなった豪農層の農家の景観を保つ明治中期の建築物であることや、堅二がこの建物で半世紀近く創作活動を行っていたことが評価され、平成29(2017)年5月2日付けで、旧吉岡家住宅(主屋兼アトリエ、蔵、長屋門、中門)が国の登録有形文化財になりました。

長屋門
旧吉岡家住宅長屋門

主屋兼アトリエ
旧吉岡家住宅主屋兼アトリエ

蔵
旧吉岡家住宅蔵

中門
旧吉岡家住宅中門

博物館の吉岡堅二コーナー

郷土博物館2F常設展示室内で吉岡堅二を紹介するコーナーがあります。

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このページに関するお問い合わせ

郷土博物館
〒207-0031 東京都東大和市奈良橋1-260-2
電話:042-567-4800 ファクス:042-567-4166
郷土博物館へのお問い合わせは専用フォームをご利用ください。