(仮称)東大和郷土美術園
東大和市では、日本画家・故吉岡堅二画伯の旧宅を将来記念館的な施設として公開するため、(仮称)東大和郷土美術園として、建物や資料の保存管理を行っています。
常時公開はしておりませんが、春と秋に特別公開を行い、多くの方にご来園いただいています。
東大和市ゆかりの日本画家・吉岡堅二
吉岡堅二は明治39(1906)年、日本画家・吉岡華堂(かどう)の次男として当時の東京市本郷区に生まれました。父の華堂は、堅二が10歳の時に熱海で療養中に急逝してしまいます。父の没後、一家は東京に戻り、堅二を絵描きにしたくないと考えた家族は、商業学校に入学させました。しかし、本人は算術の勉強よりも絵を描くことが好きで、しばらくして学校を退学してしまいます。
15歳の時、画家を志し、父と同門であった野田九浦(のだきゅうほ)の画塾に入門しました。狩野派の流れをくむこの画塾で、伝統的な日本画の基礎を身につけ、父譲りの画才を開花させました。
終戦までに、新日本画研究会や新美術人協会といった在野運動を展開し、戦後は現在の創画会の前身となる創造美術を結成するなど、昭和期における日本画の革新運動を牽引しました。
東京藝術大学で教鞭を執り、中世オリエント遺跡学術調査団員としてトルコでの壁画模写や、法隆寺金堂壁画模写事業にも従事しました。
吉岡堅二略年譜.pdf [ 2336 KB pdfファイル]
国登録有形文化財 旧吉岡家住宅
旧吉岡家住宅は、農家で名主を務めた池谷藤右衛門(いけやとうえもん)によって明治中期に建てられました。そして、昭和19(1944)年、堅二が疎開のために東大和へ移り住み、平成2(1990)年に亡くなるまでこの地で創作活動を行いました。
多摩地域で少なくなった豪農層の農家の景観を保つ明治中期の建築物であることや、堅二がこの建物で半世紀近く創作活動を行っていたことが評価され、平成29(2017)年5月2日付けで、旧吉岡家住宅(主屋兼アトリエ、蔵、長屋門、中門)が国の登録有形文化財になりました。
所在地
東大和市清水3-779
特別公開
例年、春と秋に、特別公開を行っています。
詳しい開催日時は市報やポスター、チラシにてお知らせしています。
ホームページは、郷土博物館のページにリンクを掲載しますので、ご確認ください。
新型コロナウイルス拡散防止等で公開を中止することがあります。
(参考)直近の公開日
春の公開
令和元年5月24日(金)~26日(日)
令和2年 中止 ※新型コロナウイルス感染症の感染拡大防止のため
令和3年 中止 ※新型コロナウイルス感染症の感染拡大防止のため
令和4年5月27日(金)~29日(日)
秋の公開
令和元年10月25日(金)~27日(日)
令和2年10月30日(金)~11月1日(日)
令和3年10月29日(金)~31日(日)
博物館の吉岡堅二コーナー
郷土博物館2F常設展示室内に吉岡堅二コーナーを設置しています。