○文献にあらわれたヤマト

○ やまとは 国のまほろば たたなづく 青垣あをかき 山隠やまごもれる 倭し うるはし

(日本古典文学大系1・古事記・祝詞・岩波書店刊)

○ すなは大日本おほやまと 日本、此をば耶麻騰やまとと云ふ。下皆しもみな此にならへ。豊秋津洲とよあきづしまを生む。

(日本書紀 巻第一)

○ やまとは くにのまほらま たたなづく 青垣あおかき 山籠やまこもれる やまとし うるはし。

(〃    巻第七)

○ 丙申ひのえさるのひに、うつりまして山門縣やまとのあがたに至りて、

(〃    巻第九)

○ 大倭やまとまうできてまうしてまうさく、

(〃    〃  )

<校注>

○ 「大日本豊秋津洲」―ヤマトの最も古い記録は魏志、倭人伝の「耶馬台」である。これには筑後国山門郡の山門(やまと)を擬定する説と、畿内のヤマトを擬定する説との二説があつて決し難い。ただ、言語学的には耶馬台のトはト乙類t画像で、山門のトはト甲類to、畿内のヤマトにあてられたトの万葉仮名は、すべてト乙類t画像で例外が無い。従つて筑後の山門を倭人伝の耶馬台に擬定するのは、音韻上からは、明白に一つの難点を含む。畿内のヤマトは、音韻上からは難点がない。山門(yamato)の語義は、山の入口の意と思われるが、耶馬台(yamat画像)または畿内のヤマト(yamat画像)の語義は未詳である。ヤマは山であろうが、ト(t画像)の意味を決定できない。オホヤマトは本州の称。

以下の島島の名は、神話の成立の頃、大和朝廷の統治した領土の範囲を示すものであろう。一書を含めて、その大部分は、アキヅ島に始まり、瀬戸内海から九州へ行き、日本海を隠岐から佐渡へ行つて、越の国に戻り、吉備島で終わつている。トヨアキヅシマのトヨは鳴り響く意。転じて、稲穂のたわわに色づいた様の形容。アキヅシマは、もと大和の一地名。転じて日本国の総称。

(大和は)内木綿の真画像き国と雖も、蜻蛉の臀画像(となめ)の如くにあるかな。・・・是に由りて、始めて秋津洲の号あり」(神武三十一年四月条)という地名起源説話がある。アキヅのヅは奈良朝の資料はほとんどすべて濁音である。

○ 「大倭」―書紀が大倭と書く時、一般には大和国をさすが、この場合は日本に対する敬称。

(日本古典文学大系67・日本書紀上・岩波書店刊)

文献にあらわれたヤマト

 種別なし

(明治13年1月1日施行)

体系情報
付  録
沿革情報
種別なし