東大和市の南西部にある都立東大和南公園の一角に、おびただしい数の機銃掃射や爆弾の爆裂痕を残す日立航空機株式会社立川工場の変電所が建っています。

この建物は、昭和13年(1938年)、当時の東京府北多摩郡大和村に建設が開始された飛行機のエンジンを製造する軍需工場に電気を供給する重要な施設でした。

昭和20年(1945年)には、他の多摩地域の軍需工場と同様に、度重なる米軍の空襲を受け、従業員や家族など、あわせて111人の尊い命が失われました。特に、2月17日の戦闘機グラマンによる銃撃では78人の方が、4月24日の爆撃機B-29の爆撃では1800発余りの爆弾が投下されたといわれ、28人の方が亡くなりました。また、この際の爆撃では工場の8割が壊滅したといわれ、工場は操業ができない状況となりました。

しかし、鉄筋造りの変電所は幸いにも決定的な損傷を受けることなく、戦後の平和産業の受電施設としてその後も稼働し続け、平成5年(1993年)まで変電所として働き続けました。その間、ほとんど修復の手を加えることなく使われ続けたのです。

無数の弾痕が確認できる外壁   毎年変電所前で行われる平和市民のつどい
無数の弾痕が確認できる外壁   毎年変電所前で行われる平和市民のつどい

戦災遺跡としての変電所

平和を希求する多くの方々の声が実り、東大和市はこの建物を企業から譲り受け、東京都の理解と協力を得て、平成7年(1995年)10月1日にこの建物を市の文化財に指定しました。また、平成5年(1993年)から7年(1995年)にかけて、現況調査及び修復工事を実施し、建物の保存に取り組んでいます。

戦後70年以上が過ぎ、戦後生まれの人口は日本の総人口の8割を超えています。戦争を経験された方たちは少なくなり、その記憶を今に語り継ぐことが年々難しくなってきています。

このような中、変電所は戦禍の中で壁面に機銃掃射や爆弾の破片による無数の穴を残しながら、現存する大変貴重な戦災建造物です。一方で、弾痕の残る外壁や内部の柱等を含め建物の老朽化が進んでおり、大規模な修復工事が必要となっています。